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「世界遺産」に登録された寺社や歴史の重みが脈々と息づく由緒ある寺社、隣り合わせで歴史を刻む特色ある4つの大学が連携し、地域の活性化を目指し活動しています。

衣笠山の麓は、悠久の歴史を刻んできた古都京都の北西部に位置し、洛中から洛西(らくせい)への玄関口にあたります。

金閣寺から龍安寺、仁和寺をすぎて広沢の池に至ると、平安京以前の6世紀頃にさかのぼる180基に達する古墳群が、時を経てみごとに風景の中にとけこんで、この地域の歴史の深さを偲ばせます。

かつて大堰川(桂川)、紙屋川、有栖川は、伊勢神宮で天照大神に仕えるため、天皇の即位の度に未婚の皇女から卜(うらない)によって選ばれた斎宮の祓禊 (みそぎ)の場としての役割を果たしていました。

この地域は、平安の昔より、和歌、物語に記され、歌枕として詠み込まれる事がきわめて多い事実が示す通り景勝の地であり、天皇の離宮をはじめ、貴族の山荘、隠遁者の庵などが相当数建築されました。

それらを舞台として風雅な文化活動が展開され、天皇たちの崩御後、離宮は寺として造営され、その後背の丘陵山地には御陵が築かれました。
124ある天皇陵のうち、約1/6はこの地域に集中しています。

北野は、早くに水神・雷神を祀る聖地でした。
平安中期に国を鎮め守る神として菅原道真公がお祀りされました。室町時代には北野天満宮御改築の余材で七軒の水茶屋(寺社の境内などで渋茶を供して往来の 人を休息させた店)が建てられました、京都最古の花街であり西陣の「はなれ」上七軒のはじまりです。

そして、中世以降も名勝と清浄の地としてのイメージが継承され、吉田兼好、藤原定家、芭蕉の門人向井去来、本居宣長、吉野太夫など数限りない文人、才人との深いかかわりがあり、文芸ゆかりの地として高く評価されてきました。

江戸時代には徳川家康から与えられた鷹峯に、本阿弥光悦が一族や茶屋四郎次郎らの豪商および工人たちと移り住み、芸術村を形成しました。 後に野々村仁清が御室に、尾形乾山が鳴滝に窯を構え、近代になって堂本印象をはじめ近代画壇の大御所たちが衣笠山の周辺に居を構えたのも、光悦以来の芸術の伝統によるものであると言えるでしょう。

近代に入っても川端康成、円地文子、水上勉などが数々の小説の舞台としてとりあげ、地域の魅力は近代文学のなかでも、重要な役割を担ってきました。

一方、大正10年に牧野省三が、等持院の境内に、マキノ教育映画製作所(のちの日活)を設立して以来、この地域は「映画人の町」であり、東宝、松竹など今 も活躍する撮影所で賑わい、昭和初期には太秦は「日本のハリウッド」と言われるまでになりました。

現在では、京都嵯峨芸術大学、花園大学、佛教大学、立命館大学などが、人々の要請に応える新しい理論と政策を示すべく、文化や芸術を創造的に発展させてい ます。

以上のような環境から、まず金閣寺や龍安寺などの名刹を訪れ、その時代に生きた先人たちの営みに思いを馳せたのち、古都についての理解をいっそう深めるために、鷹峯、御室、花園、嵯峨野や嵐山に向かうのが、望ましい歴史探訪の順路であります。

自称「京都通」の方はもとより、京都在住の方も是非一度、京都歴史回廊に足を踏み入れてみられることをお勧め致します。